抽象的な指導をする指導者(ディスってるつもりはない笑)

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今日のアイキャッチ画像は、貼り付ける写真で良さげなのがなかったのでピアノの写真🎹この画角でテレビ番組で同じ感じの見つけたら、それ、私です😃(さりげない宣伝)

 

では本題。

 

よく、吹奏楽の現場で耳にすることが多い(というかオケの指導現場に行くことがないので吹奏楽を取り上げてるだけですが)

あまりにも抽象的な表現で指導する先生、もっと言えば本来技術を教えるはずの外部講師。いますよね。

 

指導において、イメージは大事だとは思うんですよ。

音楽をどう表現するかってやっぱりイメージも大切ですから。音楽用語でも抽象的な表現で書かれてる事ってたくさんあるしね。

でも、

「気持ちを込めて」

とか

「光が差し込むような」

とか

「巨人が歩くような」

とか。

😂😂😂

 

 

あるんかいな、巨人が歩くの見たこと。

 

 

もう一度言いますが、イメージは大事です。

 

でもね、そのイメージで演奏するやり方がわからないからそれを教えることが指導者のやるべきことだと思うんですよね。

 

気持ちを込めただけじゃ、上手くはならない。

 

気持ちを込める、それがespressivoなのかcantabileなのか

巨人が歩くのが、pesanteなのかponderosoなのか

例えばpesanteをする時にピアノで手首が上がっていたら、表現がし難いことや

弦楽器ならどういう弓の使い方をすればそのような音がだせるのか、

身体の重心はどうすれば良いのか

など、だれも見たこともない巨人が歩くのを伝える先のことを教えなければいけないと思う。(とくに外部講師は)

 

気持ちを込める、歌う、でどれだけ指導者が押しきっても

はい!って返事する生徒の何割が

この気持ちをこめたり歌ったりするように聴こえさせる奏法を知ってる、もしくはその言葉を気持ちだけで押し切るのではなく、奏法として理解しようと、反映させようとしてる生徒がいるだろうか。

そして、どれだけの生徒が

歌った演奏と歌ってない演奏の違いを

誰かしらの講師に、その違いを教えてもらってるだろうか。

(正解はないようなものなので、違いがあることを知ることが大事だと思ってます)

 

気持ちを込めることは大事だし、それを否定してるわけではなく

その根性論や抽象的な押し切りだけで指導が成り立ってるのは非常に違う方向にいっていると感じる。

実際多少は変わるのかもしれないけど、抽象的な表現を教えるのが技術を教える外部講師の役割ではない。

 

もう一度言いますが

気持ちを込めただけじゃ、上手くはならない

 

プロとして活躍してる音楽家たちが集まってリハをしたときに、

「ここ気持ちを一つにして演奏しよう」なんて言うでしょうか。怪しい人だ。

 

抽象的なイメージを伝えた先の、

じゃあそうするためにどういう奏法をすると近づくと思うか?

何が原因でイメージとかけ離れた表現なのか?

どんなバランス感で演奏したらいいのか?

を、探る・教える ものであって欲しい。

 

それがわかっていれば、他の抽象的表現者wwwが来た時にすこしは生徒たちだけの力で模索もできるし

 

一方的な、

巨人が歩いたり、光が差し込んだり、祈ったり の押し付けに戸惑うことも少しは解消されるだろう。

 

小さい子の場合は、楽譜からいろんな情報を見つけて欲しいこともあり

どんなイメージか?

それが例えば晴れてるイメージとか、嵐とか、

黒色とか、白でキラキラしてるとか

そういうことを考える時間を作ることもある。(私の場合)

でもそれだけじゃなくて、その先をやる必要があると思ってる。

 

小さな子でも、イメージからの弾き分けをすることはできる範囲だと思っているから。

でも年齢に応じてちゃんとその弾き分けの種類の多さの引き出しを技術と共に増やしていくべきだと思う。

 

 

長々と語りましたが

たまに見かける抽象的表現者は、その先を教えてあげればもっとステキなのに。って残念な気持ちになることがあるってことが言いたい。

 

あと、巨人に会ったことがあるのかも聞きたい。

 

 

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